この映画は素朴に荒々しい父性とそれを理解できない子供の悲劇だ。

悲しいまでに不器用な父親の愛情が痛々しい。父親が不在で少年期を迎えた息子たちは「父性」が理解できない。さまざまな躾けがされていないために、父親自身を受け入れることが出来ない。

なんと悲しい物語だろう。

終わりの方で十字架上のキリストを見上げたような構図で父親がバプテスマを受けるかのような場面がある。全身が水に浸されていくのはまさにバプテスマだ。

親子が車でたどる道に立つ電柱の形が、ギリシア正教の十字架、八端十字架の形になっている。

そう言えば、父親が怪しい箱を掘り出す朽ち果てた建物の窓から見える柱も八端十字架になっていた。

などなどキリスト教の隠喩が満ちているなどと、この手の与太話があちこちの書き飛ばし感想文blogに書かれている。

それがどうした?

兄弟がカインとアベルのようだ、なんていうのもあった。

男二人兄弟ならなんだってカインとアベルに見立てることが出来る。この映画では、兄がアベルで弟がカインだと強弁することも可能だが、兄と弟の関係が違っているし、カインとアベルにたとえられる内容ではない。

つまり、そんなのどうでもいい。何とでも言えると言うことは何も意味がないということだ。

監督も意図してキリストの姿にしたとか言っているが、それがどうした?と聞きたい。

感想文blogを書いている年齢層がガキばかりなので、父親の気持ちが理解できていない。

ひどいのになると「この映画は何を言おうとしているのか全く理解できない」なんて馬鹿丸出しの感想文を得意気に書いてある。

曇りない目で、映画そのものを見つめればいいのだ。そこに映し出されている映像に目を凝らし起こる出来事に心の目を凝らせ。

静かな映像に無骨で荒々しい愛情を感じ取れ。ガキはいいかげん大人になれ。

父、帰る

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