コージー富田が鶴瓶の真似をするとき、表向きほのぼの芸人だが裏では怖い顔をする「黒鶴瓶」をやってた。

それを見て笑う人は、鶴瓶にどこか胡散臭いところを感じとっている人だ。

鶴瓶は、僻村の偽医者の、ほのぼのとした善人面で名医と崇め立てられながら、後ろ暗いところのある男を見事に体現している。

能力がないのに、偶然や、周りの成り行きで絶賛される偽医者。まわりにほめられ慕われても、まったく喜びが得られない。僻村のなかで自分の存在が一定の役割をはたし機能してしまうことに恐れとまどう毎日。

いつか破綻する。

借金を重ねながら、日々人並み以上の暮らしをしている人のようだ。いつか破綻する。それがわかっているから贅沢をしても少しも嬉しくない。

この映画のサスペンスは不思議な構造になっている。冒頭で失踪してしまう偽医者=鶴瓶の行方や、動機についての謎解きはサスペンスではない。

偽医者である鶴瓶の「嘘」バレないか、そのことがサスペンスになる。そもそも人の命を預かる医師には仕事そのものにサスペンスがある。それを毎日偽医者の鶴瓶がどうやってクリアしていくのか、冷や汗がでるほどのサスペンスが生まれる。いつの間にか、偽医者に肩入れして見てしまうのだ。

自殺した桂枝雀が言っていたが「笑いとは、緊張と緩和」だ。この映画にも巧まぬ笑いが多くある。鶴瓶の自然な言葉になんともいえぬ可笑しさがある。

余貴美子、八千草薫、香川照之が素晴らしい演技を見せる。それぞれ印象に残るいい場面がある。

これら全てを映画にまとめ上げた西川美和監督の能力は素晴らしい。なにげない台所の場面や、美しい日本の田園風景、脚本の妙、俳優たちの好演・・。嫉ましいほど幸福な映画監督だ。