この映画に出てくる主人公夫妻はものすごい。長女が白血病であることがわかると、医師の遠回しなサジェスチョンによって、将来、長女の延命に必要であろう骨髄や、臍帯血、腎臓を移植するため、移植しやすい遺伝子をもった妹を作ってしまう。長女のスペアだ。

その考えかた方にまず吐き気が襲ってくる。

で、スペアの妹が成長して、自分の腎臓を姉に提供することが嫌だと言って、有能な弁護士を雇い、母親を訴える。母親はかつて弁護士だった。

母親は自分の下の娘の言い分に納得するだろう。当たり前だ。ところが、アメリカがそうなのか、母を演じるキャメロン・ディアスがそうなのかわからないが、母親は幼い妹の言い分を頭ごなしに否定する。法廷で、自分の14歳の娘と争うのだ。

全く不愉快。

あとは、感傷的なお涙頂戴場面がだらだら続く。

臓器移植について漠然と医療技術の進歩であってすばらしいことだ、と感じる人が多いだろう。

福岡伸一先生の臓器移植についてのコメントや解説を聞くと、臓器移植というものがどれだけ非人間的でグロテスクな行為か考えさせられる。

短く言うと、生物は全てどこからどこまでが心臓で、どこからどこまでが肝臓だ、などと部品のように切り分けることができない。そのようなものであるのに、他人の臓器を切り分けて移植する。他人の臓器を受け入れるために、生物に本来備わっている、異物に対する「拒絶反応」を薬物で抑制し、極めて不自然な形で騙し騙し安定したかのように見せかける。これが医療行為と言えるのか。

映画は、泣かせる場面がたくさんあるので、泣いている観客が多かったが、俺はまったく共感できなかった。

映画の語り口が問題。それぞれの主観ナレーションが交錯して混乱する。映画の視点が誰のものなのかわからなくなる。その結果、誰にも共感できなくなってくる。

しかも、出てくる人物たちが底の浅い、いい人ばっかり。え?そこスルーかよ?というようなゆるい人間関係。

瀕死の病人が出て、死んで、母親が泣く。そういう映画だ。

妹が母を訴えたのも、ある理由があってのことだったのだが、その理由もそれでよし、なのかよ?という感じ。死ねばなんでもありなのかよ。

問題は「ミリオンダラーベイビー」で扱われた事柄になってくるだろ。そこのところの追及はしないの?

家族はそこで葛藤して苦しむはずじゃないか。妹の意志の問題にすり替わってしまって、本当の問題がスルーされているのが最後まで気になった。

感傷的なだけで、扱っている問題が大きそうなふりをし、論理的な思考が全くなされていない頭の悪い作品だ。