1954年に作られたイタリア映画「道」。

とにかく、ジェルソミーナが可愛くて切なくて。いま考えてみると、ジェルソミーナは「知的に遅れのある」女だ。横暴なアンソニー・クイン演じる旅芸人のザンパノにこき使われる。ザンパノに依存するしかない、無力な人格として描かれている。

ジェルソミーナのしでかす失敗は、旅芸人の親方としては苛々の種だ。しかし、その悪意のなさに思わず笑ってしまう。天然のピエロだ。一生懸命やればやるほど、おかしくて切なくて。

今思い出すだけでも胸が熱くなってくる。ジェルソミーナに深い愛情を感じてしまう。ザンパノも自覚していなかったが、心の底でそのようなことを感じ取っていたのだろう。映画の最後の慟哭はそのためだ。もうすべてが遅いのに。そこがいっそう切なさをかき立てる。

現代の人権感覚から言えば、大変な虐待、人権侵害だ。こんな映画をいま作ろうと思っても絶対に作れない。あらゆる人権擁護団体から抗議が殺到するだろう。これがイタリア映画の古典的名作で、行政主導の「鑑賞会」などで好んで取り上げられるのが面白い。

有閑マダムさんが記事にされているので触発されて。

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NHKの教育テレビで初めて見たのかどうか。子供の頃見たと思う。一番最近見たのは、地元の市民会館で「鑑賞会」のような催しがあって「自転車泥棒」「鉄道員」などと一緒に大きなスクリーンで見た。もう、7年ぐらい前になるかな?

ザンパノの仕打ちは本当に酷い。なのに、この映画が好まれ、繰り返し見られるのはなぜだろう。

俺の考えでは、やはり、ジェルソミーナの愛らしさなのだと思う。演技とは思えない、ジェルソミーナの、のろまぶりが心に残る。イタリア版「山下清・裸の大将」だ。

山下清氏も、知的障碍をもった人だ。日常生活では周りの助けがないと過ごせなかったようだが、貼り絵や、絵画、日記などで多くの人に愛された。思わず笑ってしまう言動も多くの人に愛された所以だ。テレビドラマにもなり、芦屋雁之助、ドランクドラゴンの塚地が演じて、高視聴率をとっている。

身の回りにたくさんいる知的障碍者たちの愛らしさ!!電車の車掌の真似をしている自閉症のいい歳をしたおじさん!まん丸の顔でにこにこ歩いてくるダウンの子供!見えない天使と話しているのではないか、と思うほど、虚空を見つめぶつぶつつぶやいている真っ白な頬の美少女!

なんて愛すべき人々なのだろう。知的障碍者のことを知れば知るほどそう思う。知らないと言うこと=無知が偏見を育て、偏見が差別を生む。

彼ら彼女たちは不完全に生まれてきた人たちではない。生まれてきたありのままで、尊いのだ。石井筆子も「人は人であることで神聖である」と言っている。俺は全くその通りだと確信している。

この映画になんらかの感興を覚える人は、実は心の底でそのことを認識しているのではないか、と密かに思っている。愚かな人から感じられる聖性を心の底で感じ取っているに違いない。

この映画をまた見たくなった。