密陽(ミリャン)とは、韓国の地方の都市の名前。

主人公の女性が、亡くなった夫の故郷である密陽に向かう場面から映画が始まる。

この映画で扱われている問題は、旧約聖書の「ヨブ記」のテーマでもある。人はなぜ、理由もなく突然の不幸に襲われるのか。愛する家族、財産のすべてを取り去られても人は神に信頼を置くものだろうか。

ヨブの問いは切実だ。旧約の神は義しき人ヨブに対し、さらに峻厳だ。一切を奪い、ヨブをどん底に突き落とし、最後はヨブを屈服させる。ヨブは最後まで神に忠実だった。

この映画の主人公、イ・シネは夫を交通事故で失った未亡人。一人息子と一緒に夫の故郷に住むためにソウルから車で来たところだ。

この冒頭から、どこか旧約聖書に出てくる女性、例えばルツなどを連想させる。幸福だった時間や、言いがたい悲劇をはらんだまま知らない土地で暮らしていこうとする主人公。関心を持たずにはいられない。

韓国のキリスト教会の様子が興味深い。駅前の路傍伝道や、キャンプ・ミーティング(天幕集会)は、アメリカ人宣教師たちが持ち込んだスタイルだろう。国民の30%がキリスト教徒である韓国の日常風景だ。

主演の女優がすばらしい。ヨブの試練を受けたとき、人はどのように葛藤するか。ヨブのように義しくあることができるか。この女優は全身全霊でこの主人公の置かれた苦しみを表現する。

最後の髪を切る場面はおぞましくも美しい。四谷怪談の髪すきの場にも匹敵する。女性の髪には特別な意味を感じる。影がゆらゆら揺れて、この監督の繊細な描写が際立っている。

忘れることのできない映画だ。同じ監督の「オアシス」も一生忘れられない映画だ。また見たくなった。

この映画監督、イ・チャンドンは本当に凄い人だ。またすばらしい作品を見せてほしい。