俺は知ったかぶりだ。

知ったかぶりの特徴は、当然知ってなきゃいけないことを知らないこと。しかもその事実を隠そうとすること。

当然、俺は「当然見たことあるよな?」という映画を見たことがない。

そもそも俺が映画を集中して本気で見始めた動機が不純なものだったから仕方がない。ただただ、映画好きの美女(俺が師匠と呼ぶ若い女)と話を合わせたかっただけ。その結果、様々ないい思いが出来たのは言うまでもない。師匠と見に行く映画の楽しいこと!!(いいだろう♪)

だいたい、映画のblogを書いたり読んだりしている奴らの99パーセントは知ったかぶりだ。俺だってそうだ。別にそのことを恥とは思わない。

TOHOシネマズで、「午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本」という企画をやっている。俺は最近気がついて、見たい作品があるとスケジュール表に入れて見に行っている。古いいわゆる「名画」を大スクリーンで見られるのだ。

それで見た作品のいくつかを書き留めておく。

「アラビアのロレンス」
長い。四時間もある。自宅でDVDでは絶対に見ない作品だ。砂漠や駱駝の走る姿が壮観。映画館で見て良かった。内容は、ロレンスという人物に共感できないため不満だった。アラブ世界が誇り高い社会であって、どれほど民族のプライドが高いか、そのことでどれだけ近現代史のなかで不利益を被ってきたかが見て取れて興味深かった。

「第三の男」
オーソン・ウェルズの登場場面が有名すぎて、そこまでが冗長に感じられた。ツィターの音色が懐かしい。うろ覚えでなく、知ったかぶりでなくこの映画を語れるのが嬉しい。見て良かった。最後の並木道を去っていく女の後ろ姿の意味がわかって良かった。

「2001年宇宙の旅」
これも長くて退屈すぎて、家でDVDで見る気がしない。映画館のなかに閉じこめられて大画面で見るしかない映画だ。リゲティの音楽が時代を感じさせていい。いわゆる「現代音楽」。

曲名は以下の通り。

オーケストラのための「アトモスフェール」(1961)、オーケストラと声楽のための「レクイエム」(1965)、そして無伴奏合唱のための「ルクス・エテルナ」(1966)、3人の独唱者とアンサンブルのための「アヴァンチュール」(1962)どれも素晴らしい作品だ。

俺は、ショスタコーヴィッチが死んだとき、バッハ、ベートーヴェン以来続いたドイツを中心とした、いわゆる西洋古典音楽が一つの終焉を迎えたと考えている。リゲティは、「世界」が南米、アフリカ、アジアにまで広がった現代の中で、音楽芸術の新たなステージの最先端を行く作曲家だ。あと200年後にどのような評価を受けるのかはわからないが、現代における最高水準の音楽作品だと俺は断言する。

「ミクロの決死圏」
これは面白かった。荒唐無稽なSF感が満載。さまざまなメカや物々しい手順にわくわくした。グラマーな女性隊員にぴったりしたスーツを着せる、というサービスもあり娯楽作品として最高。冒頭の「この映画は最先端の学者による監修を受け、科学的な根拠に基づいて制作されたもある云々」というクレジットがお約束で面白かった。俺の行った映画館の観客は「おたく」濃度が高く、息苦しい感じで窮屈だったが、この作品は、もっとあれこれ指さして、大笑いしながら楽しめたらな、と思った。


冒頭の町並みの俯瞰。野川沿いのハケの道から本作の舞台となる古い屋敷までの描写に目が釘付けになる。

俺の住んでいる界隈を見事に描いているからだ。

古くは大岡昌平の「武蔵野婦人」の舞台。国分寺崖線に残る武蔵野の面影。

本作の最後の場面でも、段丘の上から見晴らした多摩川方面の風景など、はっと胸を突く情景だ。

NHK教育で、ジブリの背景画家の講座を見た。様々なノウハウがあって、あの美しい背景が描かれることを知った。今回の作品でも、登場人物ではない、背景を見続けた。

草や木の表現、家の朽ちた木材の感じ、空や水・・・・。手で書いたそれらすべての背景の見事さ。ほんの一瞬のために費やされる作業量。

ジブリ作品の誠実さはこの背景にある、なんちゃって。

知ったかぶりだ。

作品の内容は・・・・う~ん、普通。

絵を見るためにもう一度行こう。



受動喫煙の害なんてない!!昭和30年代なんて煙草吸いまくりだったのに平均寿命が延びてきた。だから受動喫煙は害がない!!

こんなチープで悪質な論拠で、煙草の害は他人に及ばない、と言い切る、もと専売公社のバカ。

だいこんだかおおねだか、ゲホゲホ汚らしい咳をマイクに浴びせている。

不快極まりない。

こんな糞番組、早く終われ。
密陽(ミリャン)とは、韓国の地方の都市の名前。

主人公の女性が、亡くなった夫の故郷である密陽に向かう場面から映画が始まる。

この映画で扱われている問題は、旧約聖書の「ヨブ記」のテーマでもある。人はなぜ、理由もなく突然の不幸に襲われるのか。愛する家族、財産のすべてを取り去られても人は神に信頼を置くものだろうか。

ヨブの問いは切実だ。旧約の神は義しき人ヨブに対し、さらに峻厳だ。一切を奪い、ヨブをどん底に突き落とし、最後はヨブを屈服させる。ヨブは最後まで神に忠実だった。

この映画の主人公、イ・シネは夫を交通事故で失った未亡人。一人息子と一緒に夫の故郷に住むためにソウルから車で来たところだ。

この冒頭から、どこか旧約聖書に出てくる女性、例えばルツなどを連想させる。幸福だった時間や、言いがたい悲劇をはらんだまま知らない土地で暮らしていこうとする主人公。関心を持たずにはいられない。

韓国のキリスト教会の様子が興味深い。駅前の路傍伝道や、キャンプ・ミーティング(天幕集会)は、アメリカ人宣教師たちが持ち込んだスタイルだろう。国民の30%がキリスト教徒である韓国の日常風景だ。

主演の女優がすばらしい。ヨブの試練を受けたとき、人はどのように葛藤するか。ヨブのように義しくあることができるか。この女優は全身全霊でこの主人公の置かれた苦しみを表現する。

最後の髪を切る場面はおぞましくも美しい。四谷怪談の髪すきの場にも匹敵する。女性の髪には特別な意味を感じる。影がゆらゆら揺れて、この監督の繊細な描写が際立っている。

忘れることのできない映画だ。同じ監督の「オアシス」も一生忘れられない映画だ。また見たくなった。

この映画監督、イ・チャンドンは本当に凄い人だ。またすばらしい作品を見せてほしい。
水野真裕美に思い出し怒り!

韓国映画「息もできない」は傑作だ。主人公のどうしようもないチンピラが、やはり行き場がなくどうにもならない孤独な少女とひっそり寄り添って声を上げて泣く場面がある。この映画の最も重要な場面だ。見ている誰もが涙を禁じえない映画史上に残る名場面だ。

この水野なんとかというアナウンサーは、DIGの中で、この映画を見に行って感動したとかなんとか話し始めた。ところが、映画の途中で小便に行きたくなって、席を立って帰ってきたところ、みんなが泣いているのであとで劇場の人に内容を尋ねた、と言うのだ。まさにこの場面を見逃していたのだ。

そんな映画を馬鹿にしたような話を、面白エピソードのつもりなのか、恥ずかしくもなく話すのだ。俺なら、絶対に話題にしないね。自分から話し始めてこのゆるさ。

これが、小島慶子の言う、女子アナだって一生懸命勉強して頑張ってるんだからね☆キラキラ!なのか???

俺はこの手の自称映画好きが大嫌いだ!!!!!!恥を知れ!!!!

このエピソードだけで、水野なんとかが駄目駄目だと断定する。

どこから書けばいいかめんどくさい。書いておかずにはいられないのでいやいや書き留める。


・作家の小林信彦氏が週刊文春のコラムで、TBSラジオが看板番組「アクセス」を終了し、局アナを起用した「DIG」を始めることを批判した。主旨は、予算削減のため、自社のアナウンサーをメインで使うようになった番組には期待できない、というものだ。

・小島慶子は、ちゃっかり6月末でTBSを辞めて独立するくせに、小林信彦氏のこの批判に涙目で(見たわけではないが・・)「女子アナ(下品な言葉だ)だって一生懸命やってるんだから。どうせ女子アナがやる番組だからだめだ、と聞きもしないで批判するのはおかしい」と鼻息荒く声も荒げて批判した。

・今日発売の週刊文春の小林信彦氏のコラムに、DIGのひどさが、東京新聞の5月11日投稿を引いて書かれている。5月5日放送のDIGがあまりにお粗末で、特にアナウンサーの外山惠理が当日のテーマ「もんじゅ」について、初歩的な事柄を何もわかっていないし、興味関心も示さないので、この番組への起用が疑問、と言う主旨だ。

・俺も同じ番組を聴き、同じ新聞投稿を読み、まったく同感だ。当日のDIGは聞いていなかったが、小林信彦氏はきっちり聞いている。俺はradikoをmp3で録音したものを聞いた。

・小林信彦氏は、digについて、さらに批判を加えている。ちっとも掘り下げていない。「チープで軽い」内容だ、と言っている。

・まったく同感。チープなテーマ音(音楽じゃないよ、あんなの。ピープ音だ)、軽薄なナカムラヒサト。浮かれ気分の出演者。バカがバカのために作った番組。一日も早く終了することを心から願う。

・小ざかしいなんとかチキンというばか者がしたり顔にしゃべっているのを聞くのはむかつく。外山惠理は永六輔の介護だけしていればいい。報道系の番組には顔出すな!

・水野真裕美という人もひどい。聞くに堪えない。竹内さんは好きだけど、この番組の作りがだめだめだからかわいそう。

・小島慶子!!!!小林信彦先生が本気で怒っているのがわかるか!!!この前の非礼に対する小林先生からの上品な反撃だぞ!!心して読め。


どちらもドキュメンタリ・タッチでハンディカムで撮ったかのような映像が多用され、酔ってしまった。


久々の休日、映画三昧と思ってこの二本立てを企てた。

「プレシャス」は、宝物と名づけられた少女の自立物語。父親からの性的虐待により15歳で子供がいる。母親からも虐待を受け続け、逃避的な妄想に浸ることでかろうじて生き延びている。長女はダウン症。本当のダウン症の子供が出てきて可愛らしい。

主人公や周りの環境があまりにすさまじいのでうっかり笑えない雰囲気の館内だったが、コミカルなやり取りや、傑作なギャクがちりばめられていて結構笑った。面白かった。母親の投げつけるひどい言葉が、どう聞いてもラップになっていたのが最高だった。拍手したくなった。罵詈雑言、汚い言葉の連射砲だ。

救いのない展開だが、プレシャスが自分自身をプレシャスだと思えるところまで成長する内容がよかった。

ここに描かれている貧困と悲惨は現在の日本の社会にもたくさんある。友人のケースワーカーは、130件のケースを抱え、どんな状況を聞かされても、ああそうですか、としか思えないと言っている。すさまじい現実は俺たちのすぐ隣りにある。

「第九地区」も面白かった。ぐるぐる画面と、汚らしい描写に吐きそうになったが、なんとかこらえて最後まで見た。この映画の主人公の不快さを体感したような感じだ。

平凡なボンクラ主人公が、事件に巻き込まれ、英雄的な行動までするようになっていく成長物語。事件と言うのが、不可解なエイリアンたちとの関わり、というのがうまい着想だ。

テーマとしては、南アフリカで行われてきたアパルトヘイトが連想される。差別されるのは、「エビ」とあざけられるエイリアンたちだ。人間から見れば、醜く、ぶざまな容姿のエイリアンが執拗に差別される。

そこに関わっていく善意の(つもりの)白人の主人公がどれほどの目に遭い、どのような希望を持ち、差別される側になっていくのか、サスペンスとしてひきつけられた。

それにしても二本とも、爽やかな終わりではないので疲れたぜ。頭痛くなるし、吐き気はするし。

さっぱりした鶏のスープ麺が食べたくなって、中華料理屋に行き、青菜と鶏の湯麺をたべて落ち着いた。
さんざん他の番組であーだこーだ言われてきた内容じゃないか。

まったく興味が続かない。ほかにやることあるだろう!!

結局、この番組はセンスが悪いだけでなく、頭が悪いやつが作っているんだ。

残念だ。
もう聞く気が起きない。一応聞いてみるが眠くなってくる。

アクセスのテンポのよさが早くも懐かしい。

Twitterを使えば、ネットと連動??安易で陳腐な発想。

しかも出演者はろくにTwitterの意味も使われかたもわかっていない。

日曜の午後ならこのどんよりテンポでもいいだろうが、平日夜にこのぐだぐだは聞くに堪えない。

残念だが、この番組は、はやく終了してほしい。期待できる余地がない。